ニュージーランド旅行記 小川正次
その1(関空離陸まで)
2018年2月7日から11日にかけての、飛行機内1泊ホテル3泊の4泊5日の旅行でした。
これはJRPS三重の企画にて今年はニュージーランドでRI世界大会がおこなわれるということで、それに合わせてツアーを組んで募集したのでした。世界大会に出席するのが目的であるのならば良いのですが、それに日にちを合わせてということです。
ニュージーランドといえば、私たちの会員の中に、三重豪NZ協会(三重オーストラリア・ニュージーランド協会)といって日本とニュージーランドの「かけ橋」をされておられる元JRPS理事もして頂いていた宮本先生がおられます。
その先生に独自のツアーを組んでもらって募集したところ、24名が集まりました。「いざ出発」となった3日前に2人が体調不良で欠席となり、結局22名の参加人数にて関西空港4階のロビーに19時集合ということになりました。いよいよ出国手続きが始まった。
JRPS三重が発足してから10周年記念にニュージーランドには記念旅行をすでに一度実施している。その時はロトルアに行き、今回はニュージーランド最大の都市オークランドを中心とする旅行である。私たちJRPS三重は、創立15周年にはオーストラリア、20年では台湾の世界大会に行って来たのでこれで海外旅行は4回目となる。
今回は妻明美は留守番となり、私は妹の娘にガイドをしてもらっての旅行となった。出で立ちといえば、当然日本は冬なのでTシャツに長袖のヒートテックを着て、冬用のカッターシャツにVネックのセーターと薄手のダウンコートを着込み、大きいめのリックを背負い、大事なものはすぐに出せるようにとレスポのショルダーを肩にかけ、4、5日用のキャリーバックを引っ張ってのスタートである。
出国手続きも終わり、チェックも何事もなく通り抜けることが出来、機内へと誘導された。自分たちは57のBとCであったが、左窓側でAの人が通路側に変わって欲しいと言われて、私が一番窓際に座り、姪の芳美が真ん中に入った。奥の席に入ってしまうとトイレに立ち上がるときは2人にのいてもらわねばならない。これは大変ではあるが、出発は21時なので、寝てしまえばトイレに行く回数もそれ程問題はなかろう、とさほど気にすることなく落ち着いたのである。
ニュージーランド航空の飛行機は事故率も一番安全の数値を保っているとのことで心配もまったくしていなかった。そして定刻に離陸したのだった。
ニュージーランド旅行 その2(機内編1)
私たちの座席はどれだけあるのかビジネスクラスやファーストクラスには何席あるのかわからないが、エコノミークラスは59のABC DEF GHIまでだった。単純に言えば、59列の9席と言う事で、531席となるのであるが、ジャンボではなかったと思うので、その半分だったのだろうか。狭い自分だけのスペースにどのようにリラックスして座っておれるか、という方法を考えるのであった。まずは、足の置く位置である。スニーカーをはいていったので、それを脱ぎ、持ってきたビーチサンダルとはきかえた。しかし足を垂らしているとむくみがひどくなることを経験しているため、少しでも足を高く上げるために前にあるテーブルの両端に風呂敷を対角線上にくくりつけ、その中へ足を突っ込めるようにして足を置くための足かけを作った。背中には各座席に置かれてある腰当てをおいて、首には妻が入れてくれた首枕に空気を入れて首に入れた。ブランケットとして毛布を4つ折りにしたものを膝の上に置き、シートベルトをして離陸を待つのであった。
出発までにパーサーとアテンダントから説明をうけ、緊張が高まってきた。出発時間は21時ジャストになっている。その後10分程してから動き出したのだった。いよいよ陸地から離れ、加速した飛行機は前方を上に持ち上げて上昇するのが良くわかった。そのうち気圧の関係で、耳に変化をもたらして何度となくそれを調整しながら鼓膜の正常値を整えるのであった。
さて、22時頃になると最初の機内食が出た。和食をお願いした。飲み物はビールをもらった。食後、白ワインを飲んでみようとそれをもらってぼちぼちと飲み干したのだった。そして週刊文春をPTPに録音してきたので、それを聞き始めた。その後1時間ほどしてからすごく気分が悪くなってきて、冷や汗を出しながら、心臓の早打ちを体に感じながら、ぐっとこらえて、生あくびをしながらもじもじと座り直しながらこの時間を逃れようと必死だった。これはなんだったと思いますか。
ニュージーランド旅行 その3(機内編2)
心臓が口から飛び出てくる程の心拍が感じ取れて、それ程暑くもないのに汗がにじみ出てきて、とても気分が悪い。トイレに行く力もない。じいっと我慢をするのみであった。「これはなんだ」と考えて思い当たる節は、「そうだ。あの‘ワイン’を、‘わいん’にとっては、飲み過ぎていたのだ」、なんてシャレまじりの納得をするのだった。なまあくびの連発。それを2、30ぺんほどしたら幾分か落ち着いてきた。ああよかった。姪に世話をかけずクリアできた(以後、姪のことを芳美と記す)。
こんな初発からぶざまな姿を見せたのでは先が思いやられるとこの事を心に刻み、帰宅時まで反省材料とした。その後30分程で体調の異変が軽減したころから、再びイヤフォンにて週刊文春を聞き始めた。するといつしか睡魔に襲われ眠っていたようだった。機内放送があり、目を覚まし、携帯電話の時計を音声で聞いてみたら、日本時間の午前5時過ぎだった。自分の腕時計の音声は9時過ぎである。4時間の時差があるというので、腕時計は出発までに4時間進めておいたからである。
放送は英語なので理解しにくかったが、また機内食が配られるとの事を言ってるのだなあ、と芳美に聞いたら、「そうだよ。おじちゃんなに食べる」、と聞いてきた。英語に続いて日本語でアナウンスがあった。芳美も英語はほとんどわからないと言う。
またもや和食と洋食で、選択するのである。メインディッシュが違うだけであるが、ビーフとサーモンの選択だったと思う。この時も和食で注文した。飲み物はアルコールを避け、牛乳をもらった。機内食は本当に食べにくい。小さなトレーにメインディッシュと、サラダと、たまごくらいの大きさの堅めのパン1個とバター・チーズがひとかけらとヨーグルトだったと思う。ほとんどメインディッシュが違うだけで、付いているものは毎度変わらなかった。サラダの入れ物にはサラダの材料や、煮物にしたものが入っていたかな。それにしても、小さなテーブルの上に小さな滑りやすいトレーを置き、飲み物を置くと下に落としてしまわないだろうか、との心配が頭からよぎって離れない。何はともあれ、早く食べて片付けてしまいたいのが本心であった。
食事は無事に終わり片付けてもらってから、芳美の横に座っておられるC席の人がトイレに立たれたので、自分たちもこのときばかりに足を伸ばしてトイレに行ってこようか、ということになった。
着陸まで1時間あまりとなったので、長かったフライトもまもなく他国への乗り入れとなるばかりである。そして無事に着陸を迎えてシートベルトを締め直し靴をはこうとしたが、座席は狭く、足まで手が届かない。それもそのはず、シートベルトが邪魔をしているらしい。それだけでもなさそうだ。前の席の背もたれと自分の席の空間が狭い狭いのだ。どうにか機内からの脱出準備が出来上がった。
ニュージーランド旅行 その4(8日編)
オークランド空港へ定時の11時30分に到着した。それから手続きを終えてゲートを出ると、JTBのガイドさんの佐々木さんが出迎えてくれた。佐々木さんは、3年程前にオークランドに住まわれて、ガイドをされておられるとのこと。
バスは我らの団体22名を乗せて12時30分頃に空港を後にした。出発と同時にガイドさんからはなやかな声にて本日の行程の説明があり、その後ニュージーランドの概略の案内をしてもらった。日本とは違いニュージーは真夏である、ということなので、私は空港に着陸する前にこれに備えていた。真夏といっても気温は23度ぐらいで、Tシャツだけでは肌寒い。日本から着てきたものを一枚ずつ脱いで、Tシャツになり、その上に日焼けをガードする上着を着込んで、ズボンも夏用に機内でこっそりとブランケットで囲いながら履きかえてきた。帽子も夏用に変身だ。ガイドさんの案内が続く。
ニュージーランドは1日に四季があるといわれていて、朝は16度ぐらいから昼間は29度ぐらいまで上がるとのことだ。雨が降ったりやんだりといった気候だそうだ。夜は8時、9時頃まで明るさがあるため、寝るときにはもうこのぐらいの時間になっているとビックリするときがあるのだそうだ。
面積は、日本の3分の2程で、北海道と九州を除けたほどで、オークランドに3分の1の人口が密集している。全人口は480万人だそうだ。名古屋市より少し多いぐらいかな。羊の数は人間の6倍、7倍ぐらいいるとのことらしい。
高速道路を走っているのであるが、こちらはほとんど高速代は無料とのこと。
ニュージーランドドルは1ドル80円前後である。紙幣はプラスチックに全て変わったそうだ。100ドル50ドル20ドル10ドル5ドルの紙幣で横の長さがちがうだけで、日本の紙幣よりも一回り小さい。触っても全くわからない。全て新札のように思える。
ここで一つ問題ですとガイドさん。「ニュージーランドは世界で治安という事から言えば何番目に入ると思われますか。また日本は治安順位はどのぐらいでしょうか。後ほどこの発表をしますので考えてみて下さい。これぐらいだ、と思う人は教えてください」。
ちなみに治安第1位はアイスランドが4年連続だそうです。ここはいのししが崖から落ちただけでも新聞に報道されるといわれるほどらしいですよ。「キウイという言葉に何を想像されますか。大きく三つあります」。一つは、キウイバードといって、飛べない鳥がいます。二つ目は、果物。キウイフルーツというのは、キウイバードのお尻によく似ている所から付けられた名前のフルーツです。三つめは、キウイといえばニュージーランド人を指すらしいです。キウイバードの卵は鶏の3倍から4倍程あるらしいです。卵が大きすぎてメスのキウイバードは卵を温めることが出来ないため、雄があたためて育てるのだそうです。そこで、このような人はキウイハズバンドと言われているんですって。
オークランドのメイン道路を走って行くとヨットハーバーが出てきた。富裕族が所有するヨットが停泊しています。「ここでまた問題です」とガイドさん。「港に停泊しているヨットの数は何艘ぐらいあるでしょうか。その数は世界一だといわれています。ニュージーランドの治安とヨット数がクイズとなります。考えてみてください」。
ニュージーランド旅行 その5(8日編2)
バスガイドさんの案内は切れ目なく続くのであったが、ほとんど忘れてしまったような気がする。耳慣れない地名や建物である。
今回の旅行の第一番目の観光地である羊ワールドに13時45分ごろに到着。ここでは羊使いの人からの説明と実演を見せてもらった。牧場に散らばっている羊を、羊使いの人の笛の合図により、2頭の犬が集合場所に20頭ほど集めてきた。そして家の中に追い込んで、今から羊の毛を刈り取るところを実演して見せてくれるのだ。
羊の毛は6ヶ月で生え替わり、刈り取るのだそうだ。バリカンで刈り取るのであるが、そのときに羊がおとなしくするためのツボがあり、そこを押さえて静かにさせておいての散髪だ。鍼灸師として私はこのツボが人間のどこのなんというツボ名かを知りたかったのである。首の付け根や足の付け根にあるというので、その位置がとても気になり教えてもらおうとしたのであるが、「その作業は少し危険が生じる可能性が強いので」と言われ、断念した。
この羊1頭を刈り上げるのに、競争があって、一番早い人は45秒で丸坊主にしてしまうのだそうだ。両足に羊をはさみ、静かになるツボを押さえながらの散髪実演だ。バリカンの音が鳴り響いていた。羊はおとなしく毛を刈らせている。散髪を終えた羊は小さくなってしまった羊の毛を早く生やすためには、しっかりと牧草を食べさすことだとのことであった。その後、羊を手元に寄せようと思うと、やっぱりどの動物も同じで、食べる物を与えるのが一番だ。
そして、赤ちゃんに飲ませるほ乳瓶のようなものにお乳が入っているのかな。それを差し出すと羊ちゃんは吸い付いてくるのだ。そこで、その瓶を逆さにしてやると、すごい勢いで飲み始めるのだった。その瓶を持たせてもらっていて、赤ちゃんにミルクを飲ませている時のような感動にひたった。
丸坊主にされた羊ちゃんや、まだふさふさの羊ちゃんを、少し生き物に触るのが怖い私ですが、こわごわ触ってみた。羊ってそれ程大きくもなく、毛は毛糸を触る感覚ではなく、なんだかぶつぶつと細かい玉がひっついている。あまり見た目より美しくはなかった。全ての羊たちがそうではないとは思うが、ぬいぐるみを触っているのとは一寸違う。ここで、ショー・観覧・触れあい体験を1時間程させてもらった。
ニュージーランド旅行 その6(8日編3)
羊ショーを後にして最初のマーケット・カウントダウンに向かった。そこで、3日間の朝食を調達するのが目的である。芳美と朝食はスティック状になった6本入りのチーズパンを一袋、マフィンの8個入り、ヨーグルトを4個、バナナを3本、キウイを5個だったかな。飲み物は牛乳とウオーターなどを買い込んだ。
チョコレート類は沢山あり、芳美が「このチョコレートが欲しかったの」とニコニコ。きんきらきんのパッケージに包まれた板チョコとカットされて12個入りになったものがお気に入り。それをそれぞれ5個ずつ買い込んだ。その他にも紅茶やクッキーも土産物用に買い物篭にほうりこんだ。
それからホテルに向かった。ホテルはローズパークという6階建て。自分たちは107号で一階だった。ここに3連泊となる。夕食は三階にエレベーターで上がり、食べた物は思い出せない。困ったものだ。部屋にもどり、まだ8時にもなっていないので、もう一度別のカウントダウンのマーケットへ4人2組でタクシーにて出かけていった。
ホテルから歩いて行けるお店はなさそうであった。しかしタクシーでも10分以内で町中へは行ける範囲の所である。またそこで、蜂蜜やチョコレートも土産としてゲットし、部屋にもどってから飲むためのビールも買い込んだ。ビールは思っていたより飲みやすく、のどごし良く気分も上々となった。つまみは妻が用意してくれていたものを出して、まずは「柿の種」から食べ出した。
ニュージーランド旅行 その7(9日編の1)
天候が良ければ、6時半からホテルの近くに歩いて行ける範囲のところに教会がある、といわれていたので、6人程で行こうか、と相談をしていたが、あいにくの雨模様だった。
朝8時30分からホテル出発で、西海岸・ワイタケレ地方へCity Walk コースに行って1.5km程散策をしてこようとの計画であったが、私たちがニュージーランドに来る1週間程前に豪雨があって、その地区のハイキングコースが立ち入り禁止になっているということで、1時間出発を遅らせて9時半にホテル玄関前をバスが出発した。
ここで、ガイドさんからキウイバードについて、前にも少し紹介してもらったが、今朝さらに説明を受けた。キウイバードのクチバシは、とても長いように思われるのであるが、世界で一番クチバシの短い鳥だと言われているのだそうだ。どうしてかというと、臭気をキャッチして土の中にいる虫やみみずなどを餌にしているので、鼻がクチバシの先の方にあるんだって? クチバシとはその先端から鼻の穴のあるところまでをいうのだそうだ。鼻の下の長い人はクチバシが長い、と言っていいのだろうか。一寸違ったかな!それに夜行性で、昼間はほとんど寝ていて、1日に20時間も睡眠を取るという飛べない鳥だそうだ。変な鳥もいるもんですね。そこでなぞなぞです、とガイドさん。
「1,動けない鳥はなんでしょうか。2,追っかけてくる鳥はなんでしょうか」。
ムリワイビーチを散策した。そこにはカツオドリの営巣地があった。カツオドリは、渡り鳥で、頭は薄い黄色、体は白、翼の先端は黒らしい。なだらかな丘を越えてそのカツオドリに会いに行って来た。カツオドリは翼を広げると2メートルもあるそうだ。その群生地には、岩場のような所に何百びきも特有の鳴き声で賑やかに集まっている。餌は魚であり、それを見ていて、見つけると素早く急降下して捕まえるのだそうだ。
名前のいわれは、鰹が大好物で、鰹のいるところに集まっていくので、漁師は、そのカツオドリを見つけると、鰹がいるのだなあ、と目印になることからカツオドリといわれているとの案内があった。
11時30分からKumeu地区のワイナリーでテスティングと昼食を取ることとなった。テスティング、つまりワインの試飲を5種類味わった。白・赤・ロゼ・スパーリングあと一つはなんだったのかなあ。腹の中に入ったらどれがどれやらわかりません。これだけでも私はほんのりと顔がほてるのを覚えた。
それらのワインも販売があったので、一番飲みやすかったスパーリングワインを2本買い求めた。750ccをリックに入れて背負って帰ってきた。その後現地の食事を頂いた。食べた物は聞かないでね。
ニュージーランド旅行 その8(9日編の2)
今回のメインイベントというべき所へ移動した。ここは、ブラインド・ファウンデーション(盲人協会)本部のある所だ。ニュージーランドの視覚障害者の人たちが利用されている施設である。最初、二班に分かれて一班は図書館で「読み書き」問題などの情報交換を行い、二班では別室で視覚障碍者用機器などに接しながらの情報交換だった。平屋建てで部屋が細かく区切られていたのかな?、移動するたびにいくつかのドアを通り抜けて行くのは、防災や防火のためなのかなあ?、なんて想像した。
盲人用具もいろいろと展示してあり、時計類も沢山あり、紙幣分別機や沢山の盲人用遊具があり、日本にはない今までみたことのないゲーム機が沢山あった。
その後全員による、集会を開いてもらい、交流会となった。まずはJRPS三重の会長が英語にて挨拶をした後、現地の代表の人から歓迎の言葉を頂いた。
この施設は日本と違うところは、日盲連という団体はなさそうだった。視覚障害者の救済所と言うか、日盲連のような団体があるわけでもなく、全ての視覚障害者が相談に来たり、リハビリを受けたりするという事だそうだ。ライトハウスとか視覚障害者支援センターのようなものかな。
全国に視覚障害者がどれほどいて、どれぐらいの利用者があるのか、と質問を投げかけたのであるが、把握していないとの解答だ。ただ、訪問された人のみが対象で、その人達に対処していくのが仕事だ、と受け取れた。
最後に、職員の人3人でマウイ族の唄を歌ってくれて、こちら側からは、私の鼻笛に合わせて、バスの中で練習をしてきた「ふるさと」と「富士の山」を合唱した。「上を向いて歩こう」も練習をしたのだったが、時間も限られていてこれは中止となった。とても良い交流会を終えさせてもらってきました。
そこを後にして世界大会がおこなわれているオークランド大学に立ち寄ってもらってキャンバスを見学させてもらってホテルに戻ったのだった。
ニュージーランド旅行 その9(10日編の1)
バスはホテルを8時半に出発した。天候は思わしくない。まだ雨は降っていないが曇天だ。車内でのガイドさんの話で、ニュージーランドの現状を少し書いておこう。
人口はオークランドに3分の1結集していて、その3分の1が、移住者である。それだけ住みやすい所なんだろうか。しかし物価は日本より高い。給料から言うと時給155ドルで、日本円にすると1200円から1300円位であるから日本の850円から見ると良いということになる。
貯蓄率は世界から見てもワーストクラスらしく、銀行はお金を預けて下さい、とPRしているらしい。利率が良く、1%はあるらしいですよ。タンス預金をしている人、しっかりと蓄えておられる人はニュージーランドへ預けられたらどうでしょうか。
マンションの賃貸は6万円前後だそうだ。給料は1週間単位での支払いのようである。医療システムとしては日本のように充実していなくって、民間の保険に加入して医療機関にかかるというのが多いとのことです。特に、ここに住んでいる日本人の場合、歯医者にかかるのであれば、日本へ行って治療してきた方が安いのでは、と言われているらしい。病気になっては大変ですね。
こうして、昼食会場のラムソムワインズというレストランを通り越し、バスは進んだ。そして本日最初の観光地に着いたときにはあいにくの雨が降ってきていた。初めて傘を出して、芳美と一つの傘に入って外に出た。
ファーマーズマーケット(産直市場)、このマーケットは室内もあるが、露天も沢山あり、1時間程のショッピングタイムであるが、思うように店舗を見て回ることが雨のため、やりにくかった。しかし、品物は他の所から見ると朝市のようなものなので、安いように思った。特別の買い物はなかったが、「これが美味しいよ」とすでに試食している我々の団体の仲間から教えられ、10個買い求めたぐらいだったかな。
そして昨日に続き、ワイナリーで、再びテスティングに参加して、ここでも食事前にワインの「利き比べ」である。やっぱり、私にはそれほどワインが美味しいという好みの飲み物でないため、芳美に少し飲ませてから、自分も飲むというパターンで、スパゲティーがメインとなるランチを頂いた。
このワイナリーは個人経営であって、周囲には沢山のぶどう園があった。このぶどう園を見学させてもらった。ぶどう園は日本と違い、頭の上にブドウ棚が作ってあって、ブドウの房がぶら下がっているというのではなかった。こちらは言うならば、茶の木の畑のように、列に立て切り網みを張り、その網になった所にブドウの木を這わせて房を付けるという方式でした。背丈は2メートル程だったかな。
さて、これはまともなクイズです。「ニュージーランドのブドウ畑の一番外側に何かの植物が植えてあるのです。その植物の名前を解る人は理由を添えて書き込んでもらったら嬉しいです」。
ニュージーランド旅行 その10(10日編の2)
ワイナリーを後にして、パリーカウリパークにバスから降りた時には雨も上がっていて、自然を楽しめるような公園である。太古の巨木のカウリに触った。このカウリは800年たっているのだそうだ。大きすぎてまた囲いがしてあるために太さは一部を触っただけなのでどれだけ大きいのかが解らなかったが、直径2メートル程かなあ、と説明を受けた。高さは25m程らしい。
カウリの実は、松かさに似ていて落ちていたのを触らせてもらったが、まだ実は堅く、きっと松かさのように開いてくるのだろう、と思った。樹液が出ていてこれが固まったものが落ちていた。これを拾ってきてペンダントにすると美しいんだってさ? 磨き上げると琥珀色のかがやきを出して、立派にペンダントとしての役割を果たすということで、買ってきた人もあった。屋久島の屋久杉は、3000年程の古木があるらしいから、これには叶わないが、大きなものであった。
その後オークランドのメインストリートの一角にある、故大橋巨泉の店に立ち寄ってもらって最後の土産を買い込んだ。奥様のセーターを買わせて頂きました。自分の記念になるものを何か買おう、とあせっていたのでしたが、結局は夏用のハット(縁のある帽子)を買った。黒色で、格好がいいと芳美に褒められてその気になって買ってしまったのです。単純だから。
その他にはキーホルダーや根付けを20個買ったかな。そうそう、シミ取りクリームも2個買うと1個おまけに付けるよ。という言葉に乗せられて1個、47ドルぐらいだったかな?買ってしまったのです。明美さん美しくなってくれるかな。ここでの買い物は全てカード支払いなので、どれがいくらかなんてさっぱり覚えていない。カードというのは便利だが、恐ろしいですね。セーターだけが思い切った留守番をしている妻のためのもので、これだけはしっかり覚えている。
ホテルに着いたのは19時頃だったかな。二人はRI世界大会のガラパーティーに出席してくれたので、その他はホテルのレストランで最後のパーティーを行なった。とても和やかな懇親会を持つことが出来て最後の締めくくりとしては良かった。部屋にもどってから、二次会を役員関係の7名で残っている食べ物を持ち込み打ち上げをした。
そうそう、ガラパーティーには知人のMさんとお母さんが出席してもらっていたとのことを聞いたのだった。Mさんにも会いたかったなあ。
ニュージーランド旅行 その11(11日編の1)
3泊お世話になったホテルを朝6時半の玄関前に集合した。お別れである。
朝食は、いつものように芳美と買い込んできてあったチーズパン・バナナ・牛乳・プリン・リンゴ・プラム・味噌汁などで済ませた。
オークランド空港までは1時間程の所であるが、交通渋滞を考えて、早めの出発となった。バスに乗り込むと、バスガイドの佐々木さんから空港へ着いてからの注意事項や手続きなどを詳しく説明を受けた。預ける荷物は23キログラムまでで、液体物(ワインなど)・どろどろしたもの(はちみつ・バター・歯磨き粉など)危険物(はさみ・爪切り・カッターなど)はスーツケース内に収納すること。機内へ持ち込むのは7㎏までで、持ち込まなければ行けないものは、リチューム電池を使用した電子機器類(スマートフォン・タブレット・携帯電話・レジタルカメラ充電電池など)といいうことで、そのルールに従い荷物をまとめて入れたはずである。仲間の一人はスーツケースの重量が27キログラムということで、4キログラムオーバーした。そこで、スーツケースに余裕のある人に重いワインなどを入れてもらうこととして事なきを得た。自分の荷物は17キログラムだった。リュックサック内はほとんどが衣類である。また日本に行くと真冬だ。そのために着る衣装が場所を取っているのだ。
出国手続きが終わり、飛行機を待つのみとなった。10時30分が出発予定時間である。時間が近づいた。が、電光掲示板には表示されない。そのうち、予告されたのが、大阪行きの飛行機が到着が遅れているため、こちらからの出発時間も遅れる、との事である。予定どおりに飛んでいけば、17時30分に、関空へ着く予定になっているので、充分我が家に帰り着くことは可能な時間帯であるので、何も心配しなかった。そして気にしていた出発時間が掲示された。45分遅れで、11時15分に出発予定、とのことだ。この時間帯であればまだ許される範囲だ。この待つ時間帯を利用して、持ち金のニュージーランドドルを全て使い切ろうと最後の買い物である。
孫のものは幹太にTシャツ・真奈には子供のエプロン・陽大にはよだれ前掛けを芳美が選んでくれてあったので、息子とその嫁のTシャツを買い、キウイのハンドクリームなども買った。支払いはドルでも日本円でもカードでもオーケーということなので、財布から20ドル・10ドル・5ドル紙幣を1枚ずつ残し、全て掘り出して、足りない分をカード支払いとした。この紙幣を残したというのは、盲人グッズでもらってきた紙幣選別機に当ててそれを子供達にこんなものがあるんよ、と紹介するために残しておいたのである。
さて、飛行機は予想通り離陸してくれるだろうか。
ニュージーランド旅行 その12(11日編の2)
心配していた飛行機も、45分遅れの11時15分に離陸体制に入った。帰りの席は真ん中ので、芳美が通路側で自分は真ん中に乗った。隣の人は紳士風の人らしかったが、一言も言葉をかけることはなかった。私は小心者なので?
また機内での長旅が始まる。行きは夜だったので、ほとんどが睡眠時間ということで、半分程は寝ていたが、帰りは昼間だ。この時間をどのように過ごすかということである。PTPの充電も100%にしてきたので、録音してきた週刊紙の続きでも聞くこととしようとイヤホンを耳にするのだった。機内食も2回出た。トイレも3回連れて行ってもらった。
今回は芳美の方から通路に出ることが出来たので、時々芳美が気を遣って、「おじちゃんトイレ大丈夫」と言ってくれるので、言われると行きたくなるんだなあ。単純だから。
飛行機は揺れもなく、トラブルもなく運航している。45分遅れたぐらいならば、空を飛んでいるのだから45分ぐらい短縮出来るのではないのなあ、と自分は思うのだが、そうはいかないのだろうか。しかし、到着してみたらきっちりと45分遅れで関空に到着するのですよ。すごいものですね。
さてさて、ここから電車にて我が家に向かうのだ。あまり気にもしていなかったのであるが、我が家に到着する時間帯を調べてもらうと、関空から難波に行き、近鉄に乗り換えて一番早いのが20時30分の松阪行特急である。そして五十鈴川内宮前行きの急行に乗り換えて、再び賢島行きの普通電車で鵜方着が23時43分だった。わあ、最終電車だ。でもこれに乗れれば何とか我が家に到着する。こうして伊勢中川駅で、芳美は降りていった。ここからは一人旅だ。
特急は、キャディーバックも向かい合わせにした座席の後ろに突っ込んでおけたから良かったが、急行も普通も長椅子なので、自分の前にキャディーバックを置いておくと、キャスターが軽いので、電車の傾き具合やスピードにより動くんですよ。このバックを逃がしてしまっては大変です。常に一部分を触っていないと不安だ。寝てるわけにもいかない。犬の手綱を持っているようなものだ。そうしているうちに我が家が近づき、下車時刻の10分前に明美が「大丈夫。起きてる」電話をくれた。
鵜方駅に到着して、駅員さんが親切にエレベーターまで見送って下さった。キャディーバックのキャスターの音もたかだか、駅から歩道をがらがらと引っ張りながら我が家に白杖を頼りに向かった。夜だから人通りも少なく恥ずかしくないが、昼間であれば、このキャスターの音が気になり歩くのがためらわれるのではないだろうか。そうして56分で我が家に到着した。
話は山程あるが、荷物を明美に開いておいてもらって、自分は久しぶりに風呂の湯船にかり、我が家の安堵感を味わいながら余韻にひたっていた。このようにしてお世話頂いたニュージーランド協会の人たち、またご一緒してもらった皆さんにあつい感謝を捧げたい。またこの5日間付き合ってくれた姪の芳美にも感謝である。また一つ大きな思い出を刻むことが出来た。
この旅行記にお付き合い下さいました皆さん、面白くもない自己満足の旅行記にお付きあい下さり、ありがとう御座いました。
これにてジエンドとします。
筆者紹介:「立ち止まらない、振り向かない、後悔しないをモットーとして、毎日を楽しく生きることを看板に掲げて生きている」。三重県網膜色素変性症協会(JRPS三重)副会長。
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